年老いた大修道院長の教壇の上の紅茶のカプ、彼のべドゥと彼の営業用のカリンダ、彼のバキトゥ、壊れたカプと一生涯のがらくたと一緒に、彼の椅子をひと回りして汚れを落とした。地雷が爆発した道路を修理している女達のマラスク・ハトゥ、金色や若草色や色鮮やかな南のドゥレス、そして北では、深い茶や黒い衣服や敵の山々の環(わ)や飛行機のブーンという低い音。僕が初めに来た時、僕は僕の割り当てられた仕事の日数を数えた、学期の日数を線で消してゆく学生のように。僕は置き去りにしたブルームスベリ広場やイウストンの柱廊付玄関を通る73番バスやトリントン・プレイスの地元の春の何かに縛り付けられているのかと思った。今頃は四角い庭に球根が芽を出そうとしているだろうが、僕は少しも気にならなかった。僕はそれらの速いリポートゥによって句読点を打ったひと月を求め、それは排気ガスであってもよく、また手りゅう弾であってもよく、僕は湿気の多い正午を通して優美に動く絹のズボンを目に留めて置きたかった、僕はフォンを求め、そうして僕の家はそのグラウンドゥ4千マイルに変わった。
僕は高級弁務官の家で曲がった、そこでは外人部隊が彼らの白いケピと彼らの緋色の肩章を着けて見張りに立ち、大聖堂の側を通り抜け、尿と不法な臭いがするように感じるヴィエトゥナムの公安の暗い壁の側で引き返した。それもまた家の一部で、子供の頃には誰もが避ける上階の暗い廊下に似ていた。
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