僕は書き始めた時、これは憎悪の物語だと言ったが、僕は納得していない。多分僕の憎悪は、僕の愛情同様、実に欠陥がある。僕はまさに今、書くことで目覚め、机に寄り、鏡の中に僕そのものの風景を捕えて、やっと僕は思った、憎悪は本当にそんな顔つきをしているのか?僕たちはその誰もが、子供の頃に見た筈のその顔を思い起こした。ショップ・ウインドウから、僕たちの方を振り返ろうとすると、顔立ちがその息でぼやけた。僕たちが、中のきらきらした手に入らない物に、あんなに思い焦がれて見入ったので。
それは、1940・5月のきっとあの時だった、その時、この口論は勃発した。戦争は、数多くの素晴らしい方法で僕たちを助け、それは、如何に僕が戦争を、かなり質の悪い、当てにならない殆ど僕の情事の共犯者だと見做したかである。(慎重に、僕はその言葉「情事」の苛性ソウダを僕の舌の上に始まりと終わりのその暗示と共に置こう。)この時までに、僕はドイツ人が低地三国を侵略して来たと、考えている、屍のような春は、開花の匂いで甘い香りがしたが、僕には何の関係もなく、それどころか二つの実際の出来事―ヘンリは国防省へ配置され、遅くまで仕事をしたし、僕の女主人は、空襲を恐れて地下室へ移り、もはや階上の床の上には、望まない訪問者のために手すりの向こうで見張りながら潜む者さえいなかった。僕自身の暮らしは、この不自由な足の所為で、全く変わらなかった(子供の頃の事故の結果、僕はもう一方のものより短い片足を持っていた)。只、空襲が始まった時は、学校長になる必要性を感じた。まるで僕が戦争に署名をしたかのように振舞おうとしたのは、その時期だった。
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