事実上僕が遠ざけるものを、まるで愛したかのようなこうした表現を綴ろうとする己を発見するのは妙だ。時に僕は、僕そのものの思いを認めない。「暗闇」のような表現について、或いは、祈る者について、僕が何を知ろう?只一人の祈り手でさえ誰が持とう?それが全てであり、死によって、夫人の衣服、匂い、クリームのポトゥ(壺)といった使う者がいなくなった所有の中に、取り残される夫のように、僕はそういうものを受け継いでいた・・・
それでも未だに、そこにはこの平和があった・・・
それは僕がそうした戦争の最初の数か月をどう思うかである―それは、いんちきな戦争と同じく、いんちきな平和だったのか?それは、疑念と期待のあの数ヶ月、一貫して安楽や安心の腕を伸ばしていたように今は思える。しかしその平和は、僕は想像する、当時でさえ意見の相違と疑いによって、何度も中断されたに違いないと。只悲しさや諦めといった心持ちの他に、全くうきうきした気分もなく、あの初めの夕べ、家に帰り着いた、丁度そのように、そうして繰り返し繰り返し、僕は、数多くの男達の中の唯一の者―差し当たりお気に入りの恋人だという確信と共に、以前は家に戻って来た。僕があれほどまでに憑りつかれたように愛したこの女だから、夜、僕が目覚めたら、直ぐに僕の頭の中に彼女への思いを探し、眠りを投げ打ち、僕のために彼女の時間の全てを放棄するように思われた。それでも尚、全く確信の感触を得られなかった。愛の行為で、僕は尊大であっても許された。しかし一人僕はひたすら不信を、しかめっ面や不自由な足に求めずにはいられなかった―何故僕を?
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