Ⅵ
若い人がその信じる仕事の習性を築き上げる時、一生持続し、どのような破局にも耐えようとする。二十年に亘り、一週間に五日間、およそ一日平均五百語になった。僕は一年で一つの小説を産み出せる。そしてそれは、校正やタイプ原稿の訂正時間をも念頭に入れてのことだ。僕は何時も非常に几帳面で、僕の仕事の割り当てが終われば、場面の最中であってさえ、僕は打ち切る。今もあの頃も何時だって、朝の仕事中、僕は僕が何をしたか、僕の原稿の上の数百の印を外して数える。印刷所は念入りな僕の仕事の概算ペイジ数を整える必要はなく、僕のタイプ原稿の頁の最前列に数字を書き込んである―83,764と。僕が若かった頃、恋愛沙汰さえ、僕のシェデュールを変えようとはしなかった。恋愛沙汰は昼食後、そしてどんなに遅くても、僕はベッドゥに向かう状態であればよしとした―僕が僕自身のベッドゥで眠る限り―僕は朝の仕事をもう一度読み、その上で眠ろうとした。戦争でさえ、僕に影響を及ぼすのは難しかった。不具な脚は、僕を陸軍から締め出し、僕が民間防衛にいた時、僕は職務の静かな朝の当番を望んだことがなく、僕の同僚の労働者たちは只々大喜びした。
僕は結果として、熱心故の全く上辺だけの名声を手に入れた。それでも、僕の机、一枚の紙、そのペンから、ゆっくりと、几帳面に滴るばかりの割り当て分の仕事に向かうと、ひたすら熱中した。僕の自らに‐課した鍛錬を滅茶苦茶にするには、サラーを必要とした。
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