僕の片机の引き出しから、僕は貴女の日記を取りそれをでたらめに捲りながら、去年の一月の日付に沿って僕は読んだ。「オウ神よ、私は貴方を実際嫌える、それにどんな意味があるのか?」そして僕は思った、サラーを憎む事は、ひたすらサラーを愛す事、自らを嫌う事は、ひたすら自らを愛す事^―モーリス・ベンドゥリクス、The Ambitious Host,The Crowned Image The Grave Water-frontの著者。ベンドゥリクス乱筆家―サラーでなくとも―もし貴方が実在すれば、貴方以外、僕たちの憎悪に価値を見出す事はない。そこで僕は考えた、時に僕はモーリスを憎んだが、喩え僕が彼をも愛さなかったところで、僕は彼を憎むに至るだろうか?オウ神よ、喩え、僕が貴方を、心底憎めたにしても・・・
どのように彼女は信じなかった神に祈ったか、僕は覚えていた、と今、僕はサラーに話し掛ける、僕は信じなかったのに。僕は言った、生きる事に僕を連れ戻そうとして、一度は僕たち二人揃って、貴方は犠牲にした。貴女なしで、これが、どんな人生足り得るか?神を愛する事、それは貴女にとっては全て実に好都合だ。貴女は、彼を我がものにしている。僕は生きる事に喘いでいる、僕は健全である事に気が塞ぐ。もし僕が神を慈しみ始めると、僕はまさに死ねもしない。僕は、その事で何かをしようとした。僕は僕の手で貴女に触れずにはいられない、僕は僕の舌で貴女を味わわずにいられなかった。誰も愛せないし、何一つ出来ない。夢の中で貴女が一度したように気にしないでと貴女が僕に話し掛ける事、それも何の役にも立たない。もし僕が永遠にそのように愛したら、それで、何もかも終焉に至るだろう。貴女を愛してさえいれば、僕は何も食べなくても良かった、他のどんな女にも萎えてゆく欲望を感じた。ともかく彼を慈しんだところで、そこは遠くて、何事の中にも、まるで彼と共にある事の喜びは見出せない。僕は僕の仕事でさえ捨てたくて、僕はベンドゥリクスである事を止めたい。サラー、僕はどうしようもない。
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