Ⅴ
僕は僕の生活のかなりの部分をウイムブルダンで送った。僕達はその家、公有地に近い大きな一軒を処分しなかった、終戦後しばらくは;未だに僕はそこで起こった重大なことのほとんど、それどころか何一つ思い出せない。しかし11か12歳の後、僕は何時も寄宿学校にいて、その田舎町で夏の休日を過ごした、そう僕はクリスマスや他の休日の始まりと終わりに1日か2日だけウイムブルダンを見た。ランダン(ロンドン)は離れた所にあった、しかし僕はめったのそこへ行かなかった。僕達は劇場に連れて行かれたことが一度もなかった、パンタマイム(パントマイム)にさえ。そして戦争の最中までに僕は僕の人生でまさしく二度劇場に行った、それでその時は叔母の好意で単なる子供達の劇に。僕の母は真面目になるように、何らかの実際的な道で人のためになるように僕達を育てた、しかしその卑劣さ陰謀と淫らさのどんな暗示も僕達に許さなかった、その純粋さを信じることはそれらに対する最も確かな防護になるだろう。
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