top of page
検索

Good-bye to All That Robert Graves 成田悦子訳

執筆者の写真: 成田悦子成田悦子

 ミュニック(ミュンヘン)、僕達が不気味だと気付いたービアと煙草の煙の嫌な臭気、それにレスタラントの食事中の一心不乱の音;路面電車や汽車内の暑いほど装った、異常に膨れ上がった人の数;凶暴な役人達。そこに、子供達が訪れることを許されなかった、脅えさせるだけの遺体安置所。死んだどんな名士も遺体安置所に連れて行かれた、彼らは僕達に告げた、予(あらかじ)め椅子に収めて、一両日の間、威厳を持って座っているように。もし軍司令官、彼が彼の軍服を身に着けていたら;或いは市長の妻、彼女が彼女のシルクと宝石を身に付けていたら。糸は彼らの指に結ばれ、たった一本の糸のほんの僅かな動きで大きなベルの音を鳴らすだろう、もしも全ての後、死体に少しでも生命が残っていたら。僕は一度もこれの真実を確かめたことがなかった、しかしそれは僕にとっては十分真実だった。僕の祖父が死んだ時、およそ一年後、僕達の最後の訪問、僕は遺体安置所で彼を写真に写した、彼のもじゃもじゃの白髪、彼のモーニング・コウトゥ、彼のストゥライプのズボン、彼のシルクハトゥ、手袋、それに彼の傍らのテイブルの上の杖を。してみる、夜夢の中で、生きていることに;しかし彼は死んだと思い知るばかり。

46

 
 
 

最新記事

すべて表示

Good-bye to All That Robert Graves 成田悦子訳

XⅢ ここに僕が当時書いた手紙からの抜粋がある。僕は場所の名前を復元した、僕達はそれに触れることを禁じられた:ー  5月21日、1915。ラ・ブアスと呼ばれた石炭‐採掘村の兵士宿舎に戻る。それは前線から3マイル以上はないが、坑夫は今なお働いている。僕達が塹壕から遠のくにつれ...

Good-bye to All That Robert Graves 成田悦子訳

Ⅻ 1916に、負傷後ハーレックで休暇中、フランスでの僕の最初の数ヶ月の清算を始めた。愚かにも小説のようにそれを書きはしたが、僕は今それを歴史書に書き換えなければならない。ここに構成し直した章がある。  フランス到着時、我々6名の王室ウェルシュ・フュージリア士官はル・アーヴ...

Good-bye to All That Robert Graves 成田悦子訳

しかし3、4人を除いては、誰も大隊司令官によって直接推奨された者はいないだけでなく、隊或いは師団の隊員への攻撃をする間に自ら名を上げた、さもなければ誰もが新陸軍大隊か他の連隊に送られ、僕達は依然として 叙勲されなかった。僕はたった3つの例外だけ思い起こせはする。表彰の通常の...

Comments

Rated 0 out of 5 stars.
No ratings yet

Add a rating
bottom of page